マーチング4コマ漫画 46Attention Hut
以前、バイオリニストの高嶋ちさ子さんが「音楽家に短気な人が多いのは、常に練習できる時間を探しているから、効率の悪いことを嫌っている」という内容をテレビでお話されていたのを聞いて、妙に納得をしてしまったことがあります。仕事柄、音楽家の方と接することが多いのですが、結構当てはまります。突き詰める時間はいくらあっても足りない世界ですからね。そして、やった分だけ音として結果が返ってきます。
吹奏楽部の練習が鬼のように入ってくるのは、突き詰めたくなるのと、運動部より、長時間やらないと体力的な限界を感じないからではないでしょうか?
音楽の技能・表現を高めるためには(音楽以外のことはわかりません)
才能も効率も関係しますが、土台となるのは、やはり練習量と環境です。才能がある人が全体練習で毎日1時間練習しても、才能がない人が毎日3時間個人レッスンで練習しているものにはかないません。そんなこと、言われてみれば当たり前ではないでしょうか。
つまり、「人手(お金)」をかけるか「時間」をかけるかなんです。こうして98%のレベルまで達して、初めて「才能」と「運」の2パーセントが影響してきます。ここまでのレベルはプロなので、学校の部活では、ここまで問われることなんてありません。
部活動改革でよく言われる「短時間で効率の良い練習」というのは、きれいごとです。いい音楽を作ろうと思えば時間はかかります。これは私の個人的な考えですが、もし演奏家の方で「練習はほとんどやらなかったんだけど、できちゃったんだよね」っていう方がいたら、教えてほしいです。
演奏することが楽しくて「練習」だとは思わなかったというならわかりますが。
部活動改革で言われているのは、要するに「部活動」なんだから、そんなにがんばっていいものを作らなくてもいい。ということです。
ですから「短時間で効率よく」は言われても、それで「いい音楽ができる」とは言われていませんよね。
でも、がんばりたい子どもはどうなるのでしょうか。「やりたければ、部活以外で自分でやればいい」と言われていますね。
それこそ格差です。平等ではないです。楽器をやりたい子どもが、すべて音楽教室でプロに教えてもらえる環境があると思っているのでしょうか?
器楽に触れる児童・生徒が限られてくることに気付いているでしょうか?
音楽の世界の大人たちは、本当にそれでいいと思っているのでしょうか?
音楽業界はある程度、自作自演的な成り立ちをしています。
ピラミッドの頂点に立つプロの演奏家、作曲家、音大講師、演出家などを支えるのは、音大の学生や音大を目指す生徒、一般演奏者、コンサートを聴く音楽愛好家です。金銭的にも、音楽の文化としても、支えているのは、頂点の人間以外の大部分です。
この大部分を構成しているのは「元吹奏楽部員」です。
ポイントとなるのは、吹奏楽部に代わるものが未だないことなのです。
器楽の世界から「元吹奏楽部員」が抜けることを考えてください。
「吹奏楽部員」の部分を「高校野球部員」に置き換えて考えてみてください。
「音楽に親しめれば、よい音楽を作ることにこだわらなくてもいい」
こういう環境で育った人間が音楽文化を担うのです。
「野球に親しめれば、勝つことにこだわらなくてもいい」
こういう環境で育った人間が野球文化を担うのです。
文部科学省は体よく責任を逃れることは考えていますが、日本のスポーツ・音楽文化を衰退させることは黙認しているのです。今まで、日本のスポーツ・音楽の大部分の人材を育成してきた部活動を、代わりを準備せずに切っていくことは、そういうことなのです。
長くなりました。読んでいただきありがとうございました。
四コマのまとめはココ、良ければどうぞ
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